こんばんは。戦国です。

8:00からバイトなのにまだ寝付けずにいます。

 

というのも、一昨日あたりに奥歯が欠けてしまい、そこがズキズキ痛むのです。明日歯医者さんを予約しているので、今日のバイトさえ乗り切ればなんとかなるのですが、今急激に痛みが増してきています。

 

歯といえば嫌な思い出がありまして。

高校3年生の時に、昔治療したはずの虫歯が被せ物の下で再び進行していて、歯根に炎症が生じて膿がたまる、蜂窩織炎という病気になりました。

病院に行った日のことはよく覚えています。その日は火曜日で、部活があったのですが、痛み止めを数錠服用して練習は乗り切りました。試合に向けてハードな練習を日々こなしていたので、きっと疲れで歯が痛んでいるのだろうと思っていました。

ですが夜になるとあまりの痛みに顎を動かすことも出来ず、目の奥で鼓動が鳴っている感覚で、口を半開きにして横たわるしかできない状態になりました。もう既に夜でしたし、大抵の歯医者さんは水曜日がお休みのところが多いので、病院に行けるのは早くて2日後だな、とぼんやり思ってたのですが、母親がいち早く夜開いている歯医者さんに連絡してくれたおかげで、その日のうちに診てもらえることになりました。

病院に行き、「1日処置が遅れたら血管に細菌が入って、敗血症になって死ぬところでしたよ」とお医者さんに言われた時は血の気が引きました。「2日後まで我慢できる?」と聞かれていたら私はきっと「うん。」と答えていたでしょうし、そうなっていたら今頃私はあの世にいました。当時の母親の迅速な対応には本当に感謝しています。

 

今回の歯の痛みは下顎なので目まで痛むことも無く、前ほど酷くは無いと思うのですが、今は実家を出て一人暮らしをしているので痛みで動けなくなっても誰も病院に連れて行ってくれません。

 

以前通っていた大学近くの病院では歯石除去ばかりで一向に治療をして貰えませんでした。歯石除去も大事な事だとは分かっていますが、痛かったので早く治療して欲しかったです。3ヶ月ほど通ううちに痛みが無くなったので次第に行かなくなりましたが、今回行く病院では同じことがないように、一刻も早く処置して貰えるようにお願いしたいです。

1年3ヶ月付き合った彼氏に振られた話

昨日、高校の部活に顔を出した帰り道、初めて付き合った彼氏のことを思い出していた。

思い出す、というのは嘘だったかもしれない。ずっと忘れられないから、逆に思い出さないようにしていた。

未だに忘れられないのには理由があるのだろうか。自分でも分からない。未練があるのかと自問を繰り返してきたが、そうではないらしい。さながら一種の呪縛のようだ。

、、、、

そもそもなんで私たちは別れたんだっけ。

 

思い返してみれば1回も喧嘩はしたことがなかった。

彼は何につけても好き嫌いがはっきりしている一方で私は日和見主義だったので、ぶつかることは無かったのだと思う。

 

きっかけは2021年2月の部旅行だったように思う。ちょうどコロナという当時は得体の知れず、薬も無い感染病が流行って、緊急事態宣言が発令された時。私たちの部活では毎年高校入試で学校が休みになるその月に、部員全員で旅行に行くのが恒例行事となっていた。

その年は伊勢に行くことになっていて、私自身とても楽しみにしていた。

だが、そんなときに新型コロナの爆発的な感染拡大が始まった。不要不急の外出は控えなければと思う反面、高校生最後の友達との旅行に行きたい気持ちもあり、揺れていた。

でも当時は何もかも分からない状況だったので、私が媒介してしまう可能性が少しでもあるなら、それで誰かの命が失われて悲しい思いをする人がいたとしたら、そう考えると行かない決断をする他なかった。

彼は部活内で部旅行を取り仕切る係だったため、張り切って計画を立ててホテルや電車を取って準備を進めてくれていた。旅行先での自由時間は2人で過ごすつもりだったし、本当に楽しみで行けるものなら行きたかった。だから尚更、行くのを辞めると伝えるのはとても心苦しいことだった。

 

彼は私に来て欲しい、考え直してくれないかと言ってくれたが、自分だけの問題じゃないから私の心は変わらなかった。

彼は、コロナはインフルエンザみたいなものだからマスコミが誇張しているだけで大したことは無いという意見だった。

そこで初めて私たちは対立し、お互い失望したのかもしれない。

 

 

3月、緊急事態宣言のため、部活が禁止になった。それでも5月に大事な大会を控えていた私達は、個人的にグラウンドに行って練習をしていた。

彼は長距離、私は短距離だったから、練習メニューも終わる時間も全然違う。

それでも帰りは自転車で私の家まで来てくれて、できるだけ2人で会えるようにはしていた。だけど、全面的にグラウンドも使えなくなって2週間ほど経ってから会う機会も減った。

彼なりに離れていくのをどうにか繋ぎ止めようとしてくれていたのか、春休み中に是非家に来てって言ってくれたけど、私はまだ怖くて、結局なし崩し的に断ってしまったのもいけなかったと思う。あの時勇気を出していれば変わっていたのかな。今思えばその時にはもう私の気持ちも冷めていたのかもしれない。

 

実際、振られたと言いつつ別れを切り出したのも私だった。彼の態度が目に見えて冷めていくのに耐えられなかった。その頃にはLINEも全然返ってこなくなっていた。

学校で部の集まりがあった日の帰り際に、別れたいなら別れてという趣旨の手紙を渡して逃げるように帰った。ちゃんと話せばよかったかな、とも思ったけど、付き合う気もないのに話もせず散々ほったらかしてきたことへの報復のつもりだったからそれで良かった。

最後の決め手は無視され続けて、自分はもう大事にされていないんだなと思ったことだった。別れ話をするのは面倒だし可哀想だから、と放って置かれるぐらいなら、ちゃんと曖昧にしないで別れようと言ってくれた方が何倍も誠実で、最後まで大事にされている気がした。

 

手紙を渡してから5日ほどたって、彼からLINEが来た。その間は学校はなく、お互いに自分の時間で競技場に行って練習をしていた。たまに見かけることはあったけど練習中は話さないし、知らない間に帰っていた、というような感じだった。

LINEでは彼の手書きの文字で「君のことはもう彼女として見れなくなったから別れたい」という内容のことを書いた手紙が写真で送られてきた。

友達以下って書いてあったのにはショックを受けたが、やっぱりそうだよね、という達観した自分もいた。それに、もう彼に我慢させなくていいんだという安堵感もあった。

私はまだ彼のいる生活に慣れすぎていて、何をするにつけても顔が浮かぶけれど、そしてそれはちょっとつらいけど、別れてよかったんだ、と何故か妙に穏やかな気持ちになったのを覚えている。

 

実はこれを書く前は、書いているうちに彼への未練が湧き上がってくるのではと懸念していたのだが、書き終えた今は、あ〜青春だったな〜〜とおばさんみたいな感想が浮かぶくらい、酸いも甘いも素敵な経験だったと思えている。安心した。

未練がないとわかった以上、これから思い出すことも怖くないし、逆に忘れることも怖くない。これからはちゃんと次に進める気がする。書いてよかった。

 

最後まで読んでくれている人はよっぽどの物好きだろうけど、もしいたらここまで読んでくれてありがとうございました。自分のために書いたので、拙い文章で申し訳ないです。次の投稿は多分もっと軽めの話なので是非またお越しください。それでは。